世界最高峰のダンス競技大会
全英選手権
Blackpool Dance Festival
夢に向かって、がむしゃらにこの大会に挑み続けたものです!
思い起こすと・・・
1988年
が私の初めての挑戦でした。
この年から私の全英へのチャレンジが始まったのです。
初挑戦は
スタンダードもラテンもライジング、選手権ともに全て
あえなく予選敗退・・・
箸にも棒にもかからない惨敗でした。。。
が、
1989年
突然成績が動き出し、
1990年
ライジングスター準優勝
1991年
ライジングスター優勝!
1992年
全英選手権初ファイナル!
〜95年
ファイナリストとして上位を狙い
1997年
アデールとのカップルで全英選手権日本人初の第3位入賞!!!
と
世界のトップへと駆け上がったのです!
そして
1998年
全英選手権第5位入賞を最後に引退表明・・・
引退後は
2度のエキシビジョンコンペ審査員(2008年、2012年)
インターナショナルチームマッチキャプテン(2016年)
など
を経験し
そして
最初のチャレンジから30年経った
2018年
日本人として二人目のブラックプールのジャッジとして招かれました。
非常に誇らしいことでした!
これはその時に使ったボールペンです。
アデールが
プレゼントしてくれたものです!
ところが
コロナ禍が収束に向かう傾向に安心をしていた矢先に
ロシアのウクライアの侵攻が始まり、
ロシアやベラルーシからの選手の出場の可否なども含めて、
英国内のダンス界で
政治的な軋轢が一気に表に出てしまったようです。
それによってウィンターガーデンのマネージャーのマイケル・ウィリアムズ氏の
大会運営の路線変更が明らかになるにつれて
本当に
おかしなことになってきています。。。
多くの歴代チャンピオンたち、ファイナリストたち
世界のサポーターたち
最近ではトップクラスの選手たちまでも
「フェアでないブラックプールになってしまったのなら今年は行かない」
と宣言!
ボイコット!
私は
日本人カップルをはじめ
夢に向かって邁進しているカップルの挑戦をサポートすべく
会場に行きます。
夢を追い、そしてそれを叶えたブラックプール・・・
新しい路線になったとしても
政治的な色の強い大会でなく
フェアで中立な立場を貫く大会であることを祈るばかりです。
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